





金沢文庫の由来
金沢(武蔵国久良岐郡六浦荘金沢郷)は金沢流北条氏が領し、のちに館や菩提寺である称名寺を建立して本拠地として開発し、家名の由来となった地である。
鎌倉時代中期に幕府の要職を務めた北条実時は、鎌倉に下った明経道の清原教隆に漢籍訓読を学ぶ一方、嫡系の北条政村の影響で王朝文化にも親しむ文化人であった。実時は金沢家に必要な典籍や記録文書を集め、和漢の書を収集した。実時は晩年を金沢館で過ごしており、蔵書も金沢に移されたと考えられている。
文庫は実時の蔵書を母体に、顕時、貞顕、貞将の代に拡充された。特に実時の孫にあたる金沢貞顕が六波羅探題に任じられ京都へ赴任すると、公家社会と接する必要もあり収集する文献の分野も広がり、貞顕は自らも写本を作成し「善本」の収集に努めた。また、貞顕は菩提寺の称名寺を修造している。
鎌倉幕府の滅亡に際して貞顕は自刃、貞将も戦死し、金沢氏は滅亡する。後北条氏、徳川家康、前田綱紀らによっても多くの蔵書が持ち出され、「金沢文庫本」と呼ばれる典籍の多くは散逸した。
すずらん商店街の歴史
「商店街でアーケード、屋根付きの通りを始めたのはすずらん通りが日本で初」とある。1950(昭和25)年に10軒ほどの飲食店から始まったすずらん通りの前身「文庫新道睦会(むつみかい)」ができたころは、まだ道路も舗装されていなかったという。
アクセス
電車の場合・・・京急本線「金沢文庫駅」下車徒歩1分(改札から東口へおすすみください)
車の場合・・・国道16号線信号「金沢文庫入口」より0分 注:提携駐車場はございません